http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20100601.html

  • 記憶というのは発酵食品ににていて、たとえばワインなんかで発酵がすすむと別ものになっちゃうけど、変化は連続的で、ソムリエなんかだと、発酵がすすんだものをのめば、元がどうだったかわかるみたいな、記憶もどんどん外からの影響を受けて変化していくけど、あとから元がどうだったかは検証できる。
  • なぜウソの自白をしてしまうかというと、「こいつがやったはず」とおもっている取調官と容疑者との間で前提がくいちがっているわけで、普段の状況ならば、容疑者からすると相手が「おまえがやったはず」という態度をとりつづければ、席をはなれるなりケンカになるなりするけど、そういうことができない特殊な環境だから、とりあえず問題を先送りしてその場を切り抜けようとしてしまう。
  • なので、冤罪だった容疑者に取調官の感想を聞くと「いいひと」だったいうこともある。(つまり、自分の話をよく聞いてくれたという印象だけが残っている。)
  • あとで記録をみると(アンジャッシュの)コントそっくりで、おたがいの話がまったくかみあってないことがよくある。
  • 足利事件では、公判では菅家さんが時間順にそって「相手」「自分」「相手」「自分」の順で話をしているのに対して、取り調べ調書だと自分のことしか言っていない。被害にあった少女は4歳なので、なにかしらの反応があったはずで、しかも初めての殺人ならその感想もあるはずだが調書では言っていないという不自然な点があることに分かるのに1〜2年かかったとこと。実際に、無罪判決が出て菅家がしゃべったときに、しゃべりかたの特徴が出ていたので、「やっぱり!」ということだったそうな。